物語の舞台になっているのは鶴来(剣)という北陸の町で、終盤に出てくる富来(研ぎ)の町と合わせて、刀鍛冶の500年の歴史と主人公たちの2年2ヶ月の恋物語が重ねあわされているように思います。小道具として登場する刀子に象徴されるように、二人が「愛」を研ぎ澄ましてゆく過程が見事に表現されていると思います。
相手に自分を“欠けたものの存在感”として認識させるってことおすすめ度
★★★☆☆
人は性愛に何を求めるか?最初は単純に性的な欲望、次いで若かりし頃の純真や情熱を取り戻したいという欲望、そして自分の存在を相手に埋め込みたいという欲望... この性愛に対する欲望の深化は、人の持つ性(さが)そのものである。そして、この小説は、そうした人の性(さが)を克明に描いている。
もうひとつ、この小説が丹念に描いているのは、男女関係の妙である。こんなことを言えば(すれば)相手はこう思うだろうな、と思いつつ、違うこと、正反対のことを言って(やって)しまう。ところが、そうして言った(やった)ことを、相手はまた別の形に誤解して受け止めてしまう... そんな男女関係の機微を、メタレベルの小説視点で描写していて秀逸。
こうした男女の関係論をクリアに描き切るために、著者は前半では「金銭契約」、後半では「死」という道具立てを用いるのだが、これがまたうまく機能している。で、著者が男女関係の真髄、恋愛の究極として掲げるのが“欠落感”ってワード。「その人がいない状態、いなくなった状態の、どうしようもない欠落感。僕の考える恋愛には、それが在る。恋愛でないものには、それが無い」。やっぱ、自分が気持ち良くなりたいってのより、相手を気持ちよくさせたい、相手の記憶に己を刻み込みたいって欲望に性愛が至るのって、結局はそういうことなんだな、と納得できる。つまりは、相手に自分を“欠けたものの存在感”として認識させるってこと。この小説はさらに、その刻み方、埋め込み方も、正常位のように相対するのではなく包み込むように重なった形と、具体的な体位によってその一体感のイメージを提示している。
究極の恋愛小説ではあるけど、あまり恋愛を身近に感じられない者にとっては、いまひとつのめりこめないというか、主人公2人に置いてかれっぱなし、って感もある。恋愛を求めている人、恋愛の渦中にある人には文句無くお勧め!
死に至るまで生を称揚する性おすすめ度
★★★★★
高樹のぶ子の作品は「波光きらめく果て」を以前読んだが、本作はそれ以来だ。従って、格別彼女のファンではないのだが、この作品は、映画化に関連して萩原健一を取り巻くごたごたがあって、そんなこともあって読むことにしてみた。郷と千桐の関係は「愛」なのかそうでないのか、とにかく曖昧な状態が半分以上続くが、性を通した体の交わりに精神的交歓を見るという意味において、「チャタレイ夫人の恋人」における、メローとコニーの関係によく似ている。性を失った生はもはや生きるに値しないとする郷の態度は、「性とは死におけるまで生を称揚すること」とするバタイユの思想に一脈通ずるものがある。この作品はまた、杉、鍛冶師など、能登の自然と風物に関する話を織り交ぜたひとつの紀行文のような体裁をとっており、その意味で、当初から映像化されることを念頭に話を作ったと思われるようなところがある。様々に繰り出される比喩は若干文脈との関連性が欠如して悪戯に読みにくさだけが高ずるようなところがあるが、お互いの気持ちをはっきりと言わないまま、体を重ねることにより、双方文字通り「献身」の意味を心に刻み込んで行くその生き様は、ある意味極めて日本的なのかも知れない。さすがの一作である。
こんな恋に憧れます。
おすすめ度 ★★★★★
番組制作会社の男と、彼が取材に訪れた町の最後の刀工の娘。40を超えた二人が激しい愛におちていく。
とにかく、二人の恋の始まりのもどかしさが、まるで10代の不器用さにも似て、懐かしさとせつなさを感じた。
大人なのに、駆け引きなしのストレートで、大人な分だけ純粋で激しくて、憧れてしまうような愛の形だった。
作者の語り口もよく、主人公の心情がとても細やかに描写されていた。とても哀しくも心のなかに染み入るような作品だった。