芥川−梶井−太宰おすすめ度
★★★★★
「過古」について書こう。この作品で思い浮かべるのは、二人の作家の二つの作品だ。一人は芥川龍之介で、「蜃気楼」。もう一人は太宰治で、「雪の夜の話」。
「蜃気楼」も、「過古」も、暗闇の中に光る、かすかな光りが印象に残る話だ。「蜃気楼」の世界は、私が生きている世界に似ている。これはあくまで〈たとえばなし〉である。私はいつも、真っ暗闇の中にいる。人に何か聞かれる。私は何か答えようとして、言葉(それは、単語だ)を捜す。暗いから、マッチに火をともす。このとき、もし、風が吹く(つまり、何か外からの刺激を受ける、たとえば、電話が鳴る、とかする)と、私は困る。ただでさえ、私は言葉を見つけるのが遅いのである。そのうえ、何か外から刺激があったりしようものなら、マッチの火は消える。したがって、私が捜していた言葉が何なのか、私には見えなくなってしまう。暗闇のなかでは、一本のマッチの光さえ、救いとなるのだ。
「雪の夜の話」には、難破した若い水夫の網膜に、燈台守一家の団欒の光景が写っていた、という話が出てくる。「過古」には、燃え尽きたマッチの火が、消えてもなお、しばらく主人公の目に残像として残った、という一節がある。芥川、梶井、太宰はマッチと目とを介してつながっているのである。してみると三人は、かすかな光を守り続けた作家たち、と言えるのかもしれない。
自分のそれと、おすすめ度
★★★☆☆
何だか、これでもかって位に感傷が似てる気がした。
だけど、全般的に変調が無いから、続けて読むには難い。
「桜の樹の下には」が有名ですね。
梶井作品だという認識は薄いかも知れないけれど、フレーズは非常に有名でしょう。
つか、それが読みたくて買った。
鮮烈な発見と驚き、生命の輝き。おすすめ度
★★★★★
梶井基次郎の感性って、この文庫全集を読んでみて、習作「太郎と街」が原点なんじゃないかなって思いました。感性のアンテナをピンと立てて、楽しげに街を歩く青年。それはのちに「檸檬」の屈折、「冬の日」の悲愴、「冬の蝿」の諧謔へとアンテナの方向を変えながら続いていく。
梶井の晩年29歳の時に書かれた「闇の絵巻」は、病気が悪化し、数百メートルの道のりを歩くのもやっとなのに、鮮烈な発見、驚きに満ちています。その根底には、不思議な生命の明るさがあるように思います。
桜の樹の下には・・・おすすめ度
★★★★☆
”桜の樹の下に屍体が埋まっている”というフレーズは
小説やマンガにこれでもかと引用されていますが
その部分だけが先に入っていた私は、初めてこの本を読んだ時
自分の想像していたものが大分違っていた事を知りました。
これは桜の花の美しさを最大級に讃える表現だったのですね。
著者は結核を患い若くして亡くなられています。
その為か、この全集に収められている作品は完成してないものも多いです。
また作品に登場する主人公達はみな胸を患っているので
この人は自分の作品の主人公にそのまま自分を投影しているのだろうと思っていたのですが、
「あとがき」に梶井基次郎について書かれている宇野千代さんの作品の抜粋部分が載っていて
それによると”梶井基次郎という人は自己を語らず、感情も出さず、
手紙にも自分の思う事を書いてきた事はなかった”という事で
その対照的な印象が不思議に思えました。