俘虜たちの収容所生活をシニカルに描写おすすめ度
★★★★★
著者は大戦末期の昭和19年にフィリピン・ミンドロ島の戦地へ送られるが
米軍の俘虜となり、収容所で約一年間過ごすことになる。
本書はその収容所での体験記が大部分を占めるが、
そこでは我々がイメージする収容所の過酷さや悲惨さは殆んど無い。
俘虜達は、十分過ぎる量の食事を与えられたために次第に肥えていき、
喫煙しないものにも配給される煙草を賭博に用いたり、
干しブドウから酒を密造したり、米軍の物資を盗んで貯め込んだりしている。
そういった俘虜達の強かさや堕落した姿がシニカルに描かれており、
これはあとがきによれば俘虜収容所の事実をかりて、占領下の社会を諷刺するという意図もあったようである。
著者はフランス文学翻訳家でもあり(著者翻訳によるスタンダール作品に接した人もいると思う)
その語学力を買われて収容所では通訳となり肉体労働を免除されたりしている。
また、著者が春本(チャタレイ夫人の恋人を下敷きにしたりした)を書いて
収容所内での流行作家になったエピソードなども非常に興味深い。
俘虜としての生活の記録おすすめ度
★★★☆☆
米軍に捕まり俘虜(捕虜)となり収容所に送られるところから始まり、残りの大部分は収容所での生活について書かれていて、最後に日本に帰還するところで終わる。
戦争小説というよりは、収容所の生活の記録という感じで、特に周りの人の戦歴・性格などを細かく書いている部分が多かった。
読んでみて、筆者は人のことを見抜く洞察力と記憶力が抜群に良いなぁ、と感心した。
もともと三冊だった本を一冊にまとめたものらしく、たまに被っている描写があり、何よりページ数が多くやや冗長とも感じたが、最後まで読みきると、あたかも自分もそこで生活していたかのような気分にもなった。
当時の空気を感じることができて、そういう意味では、とても面白い本だと思う。
名著おすすめ度
★★★★★
「野火」は教科書で知って、アメリカ在住時に全文を読んだ。この「俘虜記」は、いっそうシニカルだ。特に、序盤の俘虜になるまでに、草むらから目の前まで接近した若い米国兵を大岡氏が撃たなかった心理描写は、今なお名作の誉れが高い。私は「俘虜記」は主にヨーロッパ旅行中に読んだが、異国に居る自己を見つめなおす気分が、大岡氏の心理描写に実にぴったり来て、飛行機の中でグングン読み耽ってしまった。
俘虜である自分たち自身についても批判的で、厳しくドライな気分が行間から読み取れるが、日本軍指導部の批判は実に手厳しく、愚弄、と大岡氏に一刀両断されている。対戦国の米国の民主主義には、実に好意的だ。終戦近くに30歳過ぎて参戦した大岡氏は、それほど日本の軍隊に心から失望し、自由の国アメリカの寛容に心酔していたのだろうか?
私は本作に続き、大岡氏の後年の作「ながい旅」を読んで、大岡氏の心情が分かる気がした。「俘虜記」は戦後まもない作品で、解説にもあるが、進駐軍に遠慮もあったらしい。「ながい旅」でも、最高執行部の愚弄さは繰り返しつつも、戦犯裁判で部下をかばい続け毅然として米国の無差別殺戮を立証し、誇り高く巣鴨刑務所に散った岡田中将(司令官)に深い共感をもった文章を綴られている。
大岡氏は、愚弄な作戦を痛烈に批判した。その中で、超然とした誇り高い人間性に深い共感をもって後世の私に伝えてくれた。こうした、大岡氏の置かれた時代も知った上で、なおかつ本作のシニカルで鋭い感性に溢れた人間観察の文章は、ときに爽快であり、ときに今の時代にも通じることを言われており、極めて示唆的である。俘虜となってからの文章が長いが、一気に読み進めてしまう、永遠の名著といえる
俘虜とは何だろう?おすすめ度
★★★★★
私の父はソ連の収容所に2年間抑留されていましたが、カスピ海沿岸のグラスノボツク(今ではトルクメニスタン国)だったので気候も温暖で、所謂シベリア抑留者の悲惨さは経験しなかったと言っていました。本書はフィリピンの収容所が舞台で、民主主義国家米軍の下だったこともあり俘虜の待遇はソ連軍よりもよかったようです。例えば米軍と同じ服、一日2700カロリーの食糧が与えられ、干し葡萄からワインも密造していました。父もここまで楽はしていなかったでしょう。
そんなこんなで興味深く読めたのですが、読後、著者はいったい何を一番伝えたかったのだろうという気がしてなりません。俘虜生活の実態?戦争の馬鹿馬鹿しさ?それをとめられなかった国民のだらしなさ?軍隊の不条理?米軍の寛大さ(イラクを見る限り今のがひどい)?それとも通訳として米軍と俘虜の間に入った辛さでしょうか。ところどころに顔を出す、著者のシニカルな視線はそれらいずれをも感じさせています。でも、数多ある戦記ものから本書を際立たせているのは、俘虜という状態が彼らに与えたものが、解放後もなお彼らを支配しているのではないかという指摘だと思います。そのものというのは明示されていませんが、次の一節にヒントがあるのかもしれません。
「我々にとって戦場には別に新しいものはなかったが、収容所にはたしかに新しいものがあった。第一周囲には柵があり中にはPXがあった。戦場から我々には何も残らなかったが、俘虜生活からは確かに残ったものがある。そのものは時々私に囁く。「お前は今でも俘虜ではないか」と。」
10年後再読したい本の一冊です。
私にとっては小説でなくノンフィクションおすすめ度
★★★★☆
私はこの作品をノンフィクションと思い込んで読み始め、カバーに記されている解説により、読み終えた後になって初めて、著者の従軍体験に基づく連作小説であると言うことを知ったのである。しかし、今でも私にとってはノンフィクションであり、どこが虚構に当たるのか、全くわからない。少なくともこの作品を小説とするなら、ジャーナリストの書いた記事でも小説に分類されてしまうものが多々存在することになると思う。
部隊から外れ一人戦場を彷徨っていた著者が、林のへりに倒れ込んでいた時に米兵が現れる。米兵は著者に気付かないのだが、著者は銃の安全装置を外すも結局射たないのである。この「なぜ射たなかったか」についての省察に数ページ費やされていることが、唯一のノンフィクションらしからぬ箇所であろうか。
タイトルから察せられるように、書かれていることの大部分は俘虜収容所内のことである。そして「阿諛」と言う言葉が何度も出てくるが、これが日本人の集団秩序の維持に重要な役割を果たしていることもわかる。戦場と言う極限状況下、収容所内で新たな秩序が形成されていく過程、米兵との対比などを通して、日本人と言うものを見つめ直すことの出来る好著である。